African Ants March
夢を見た。夢というのはいつも安いコストコの牛肉みたく、なんだか筋筋していて咀嚼が困難だ。ただ大まかなあらすじと妙に生々しいパトスだけを纏ってい る。そこで肉付け、つまり大掛かりな脚色を添えて記述することで、この余暇をやり過ごすことにしたんだぜ。まあ盛りに盛るけどな。小悪魔agehaも仰天 なくらいに鬼盛りするぜ!
さて、この試みはきっと失敗する。夢を回転軸にしているために、駒は美しく回らない。その回転はブレまくり、ポケモンのアニメで問題になった ポリゴンみたく不快な反射を発生させるかもしれない。夢はただの情念で、論理的妥当性など皆無なのだから!しかし「ヤらせろ」と迫る肉食系男子のような厚 かましさで俺は俺の我を通すッ!「魚には痛覚がないのだから」と理解不能の悦楽のために命を弄ぶ釣り人のそれのごときエゴイズムで俺は書くッ!
ちなみに見た夢を細かく記述することで、かのマレー半島のセマイ族が持つ能力、明晰夢をコントロールする能力を身につける事(ry
ーーーかつて世紀末的な声音でまことしやかに語られた新しい戦争の形。「国家と国家の戦争、イデオロギーとイデオロギーの戦争、テロとの闘いはな りをひそめ、利権と利権の戦争、つまりビジネスとしての戦争の台頭。国や思想は大義名分と化し、利潤の為に虐殺を行うまでに、世界経済は逼迫する。キャピ タリズムの社会は剣が峰に到達し、ついにはその噴火口に身を投じる。」
僕はPMS(Peace Making System)という多国籍企業に勤めている日系アメリカ人だ。PMSは言わば民間軍事請負会社、PMCだ。どういうわけか、他の同業者達が安保理を中心 とした国の意向によって事業が細分化されることで、「プライベートミリタリーの世界政府への介入」という予言が実現されることがない中、僕の勤めるPMS は冷戦当時から少しずつ事業を拡大してきた。多様なビジネスにおいて強固な利権を保持し、また様々な政府機関と強いパイプを持つことで、事実上一つの軍事 国家のような立ち振る舞いをしている。核の神話が崩壊した今、すなわちヒロシマ・ナガサキの絶対領域がもはや意味を持たなくなった現代においては、武力を 放棄し平和主義を訴える国は決して天の邪鬼でもなんでもなくなった。日本を中心とした被爆国は、僕たちの主なカスタマーだ。僕たちPMSは顧客の、人的支 援であり、人道的介入であり、戦争広告であり、外交戦略だ。もっとも僕たちの実態が、こうした民間軍事会社の”出過ぎたマネ”に終始するでなく、PMSの 事業に、PMSのPMSによるPMSのための思想、利権、戦略に則ったオペレーションが多分に含まれているような気がして、PMSの本質、戦争屋の闇の深 さは底知れない。
僕は仕事から帰り、テネシーウィスキーを飲みながら大儀そうにソファに身を沈めた。仕事は退屈なものだった。インド洋の東アジア共同体が共有す る巨大シェルター型タンカー周辺を、元独裁国家の不審船が迂路迂路しているという情報を掴んだ。このタンカーはアジア圏の漁業の拠点でもあり軍事的サンク チュアリでもある。そこでEACの依頼のもとで、この不審船を迎撃、蜂の巣にした。この作戦を明日メディアは「北の環境テロ船、亜細亜漁業連合過激派に よって沈没」と報じるだろう。真実は闇に葬られる。
この手のオペレーションのために、鴨女(チャイカ)部隊というチェホフ文学みたいに女々しく気取った名のSOF(特殊部隊)が編成されている。 その命名とは裏腹にSOCOM出身の手だれや、世界最大の海上警察、IPS(International Pirates Sweeper)を離隊しやってきた豪傑など、チャイカには到底似つかわしくない荒くれものであふれている部隊だ。あくまでおママごとにも糞真面目になる のが僕たちPMSだ。
僕はというと、根っからの戦争屋で、あらゆる民間軍事会社を点々とし、戦場を渡り歩いてきた人間で、先日の海上作戦みたいなものは珍しい。と はいっても本職が何かと問われれば答えに窮する。僕のルーティンワークには、原理主義者が発狂した末に虐殺を行ったりする未開の国でその無数の死骸を目撃 したり、中国製のコピーAKを持った少年兵に銃弾をこれでもか、というほど叩き込みただの肉片にすることなどが含まれる。
一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上のなんちゃら、という言葉がまかり通っているが、僕にとって集団の死はいわばPCのデスクトップの背景の ようなものだ。死に対する道徳的観念、良心はナノマシンで戦場に赴くころには綺麗に摘み取られていて、100万の死(メガデス)は僕の日常だ。ひょっとす るとこうして酒を飲み、3Dスクリーンデバイス操作している今この瞬間こそが、非日常なのかもしれない。軍事は歴史、国際関係を紐解く上でのバックボーン である、という言い方がされるが、戦争屋の僕にはわからない。国のためでもなく、イデオロギーのためでもなく、金のためでもなく、僕は戦場を歩く。ジャッ カルやハイエナやライオンが100万のシマウマを肉のぼろ切れにしている真っただ中、ただただ何かに向かって行進するアフリカ蟻のように。ナノマシンもメ ンタルヘルスケアシステムも、ただ僕の脳内を洗浄するだけで、こうしてソファに座って戦争とは何ぞや、と煩悶しても誰も何も教えてくれない。ーーー
もしかしたらこれはおいらの唯心論の欠片で、形而上の救いを求める内なる声かもしれない。前提として僕は軍事に興味が無い。したがってすべてメタ ファーと考えた方がしっくりくるのでは、などという無謀で投げやりな気分にもなってくる。おいらは何かと闘っていて、その役者として一番短絡的に”戦争” を選んだのだろうか。明確なのは一つ。あのアフリカの広大な大地を歩く蟻のイメージだけは、やけに毒々しく、てらてらとした光沢でその存在を露骨に示して くる、ということだけである。